おもひでぽろぽろ

1、2、3、大好きだ

ボクらをセレクトされると、また好きになるよね

デビュー10周年を記念して、重岡くんがセレクトした好きな楽曲は「ボクら」だった。

ボクらって、さくらももこさんが作詞している曲でなうぇすと(アルバム)に収録されているカップリング曲なんだけど、中学生のころさくらももこさんのエッセイを網羅していたじぶんにとっては、この上ない巡り合わせだった。 だからこそ余計に、ボクらを選んだ重岡くんはただ者じゃないかもしれないと考えている。

振り返るとWEST.を好きになったころはラキセのツアー中だったなあ。当時のすることといえば、レポを調べるとかこれまで発売された映像を見返すとか、そのぐらい。だから、わたしにとってなうぇすとはWEST.を好きになってから初めて手にしたアルバムで、地元である北海道に初めてツアーで来ることもなったアルバムでもあるから、やっぱりどこか特別なんだよ。 よりうれしさが湧き上がって止まらない今、ブログに吐き出すことにしました。

 

「キミはキミのために生きるんだ ボクはキミの陽だまりになる」

わたしはこの歌詞がだいすき。先日のもぎ関で、重岡くんがこのフレーズに触れていたので書き記しておこうと思います。

 

2024/2/25 もぎたて関ジュース

大人になってきて、いろんな景色が見えてきて、答えだって一つじゃないことが分かって。あのー、何て言うんでしょうか。本当に「キミはキミのために生きるんだ」なんですよね。やっぱりね、みんなには幸せになって欲しいの。やっぱり、うん。でも究極やで?究極いうと、んー…僕らが、変な話よ?変な話ではないか。ま、人っていつか死んじゃうから。うん。分かんない本当に。目の前に流れている景色っていうのは、やっぱり"当たり前じゃない "って、なんか俺もすっごく感じてきて…うん。正直諦めに近いよね。"諦め"ってなんか、一個の出来事をボンッて諦めるんじゃなくて、小さな小さな事を積み重ねて諦めていくんや。やっぱり、なんかこう… 永遠じゃないから。色んな事が。って意味で言えば"キミはキミのために生きるんだ"って、幸せであって欲しい、僕らの出すもので。例えばエンタメ。僕たちの届けるもので、幸せになって欲しい。…でも究極は、俺らが、僕らが居なくても幸せになって欲しいんすよ。うん、そうなのよ。「僕らが居ないとダメなんです 」…嬉しい。むっちゃ嬉しい。泣けるほど嬉しいけど、本当はでも、そうだよね。うん…ってなんかこう、言いたくないけど言えるっていうか。思いたくないけど、どっかで思ってる自分もいるっていうか。でも、実際そうだと思うよ、うーん。そう!「キミはキミのために生きるんだ」… なんか色々、大人になるって楽しいぜ。あ、そうそう。今はこう思ってる、だからね。うん。これが全てじゃない。答えは一つじゃないから。うん。でも、今は、俺はなんかそんな感じに思ってます。

 

これを聞いたとき、言葉にすることが追いつかないくらい直感的に、この人めちゃくちゃアイドルだー!って猛烈に思った。 核心的なことを言おうとしないから、こう、考えながら話しているんだろうなとも思うし。そして、歌詞のキミはキミのために生きるんだに続いている" いつかわかる日がくるさ きっと幸せだったこと 大事なことはずっと変わらないはずさ"を、重岡くんなりに考えてみたんじゃないかと踏んでいる。

大人になるって何だろうと考えてみたけど、できないことをできるようになるとか、乗り越える方法を知っていくとか、本当にいろいろあるじゃない?わたしもまだまだ大人になれないけどさ、今まで大人になることにも子どものちからにも魅力を感じてきた重岡くんが「大人になるって楽しい」というんだから、なんか重みを感じてしまった。幸せの定義を、アイドルである自分が言いたくない、思いたくないと抗いつつも、受け入れるしかないと腹を括ったんだろうし、もしも、それすら大人になることに入るのであれば「大人になるって楽しい」と話す重岡くんは、希望のような存在だと思った。そのうえ、重岡くんの積み重なった「諦めよう」が残すものは"みんなが幸せになること"なんだから、 正真正銘アイドル過ぎて泣けるだろうがよ。たぶんだけど、じぶんが応援されていることの価値を理解しているし、めちゃくちゃ律儀に目の前にいるひとりひとりの人生を受け止めているからこう思っているのかもしれない。だとすれば、重ね重ねになるけるど、結論【職業:アイドル】のひとなんだって思わされるよ重岡くん。

重岡くんってライブだと直接的なファンサービスよりも、会場にいるお客さん全体に向け何を届けるかを意識しているひとだと思ってる。それと同時に隠しきれないリアリストでもある気がしていて、今回はそんな重岡大毅すぎるお話でもあると強く感じた。 ムーンライトで"勇者になりたい"と話していた重岡くんは、現実世界できっとわたしたちが困ったタイミングでドーンと登場したいことを指してくれて、それが本音だとも言ってくれた。だけど、重岡くんが行き着いたアイドル像とは、武器を作る鍛冶屋さんだった。理想と現実。だからこそ、ライブでの重岡くんって必死にお守りのような一瞬や、メッセージを届けようとしてる気がする。重岡くんって、そんな夢と現実の境目にいるようなアイドルだとつくづく感じる。だから、夢を魅せるというアイドルの大きな意味も捉えているし、同時にこちらの真理も突いてくるのかもしれない。

まあ、ね!この話を聞いて、アイドルとしても、人としても、エンタメの限界をわかっていそうだなって切ないことを考えないわけないんですよ。それって実際に夢を魅せる・届けるアイドルがする発言にしては、あまりにも儚すぎるというか。

元来このひとは歌うことが好きなんですよね。というか、この仕事と向き合っていくうちに、ようやく歌うことが生きがいになった。いつも死に物狂いでステージに立っている。それに、そんな必死な重岡くんにだって学生時代に戻りたいなと思う瞬間があったし、もし戻れたとしても何ができたかなあ…と考えることがあって、それでも青春は甘酸っぱいとも教えてくれた、そんなひと。コロナ禍のダブトラで「周り見渡してみて。もし本当に誰もいないなって思ったら僕たちがいるので。」と話すくらい、きっとじぶんが応援されている価値を十二分に理解しているひと。それなのに、世の中には重岡くん自身が関わることのできない部分にも幸せが溢れていることも知っているし、その幸せに気づけるようアイドルでありながらも立ち振る舞ってもくれるから、ファンとしてはすこし苦しくなるよね。不器用なのに欲張りで、言葉足らずなのに器用にやろうとしているこのアンバランスさが重岡大毅そのものな気がしてくるけども(笑)

このあいだね、WEST.に会ってきたよ!お互い大人になったな〜。なんというか、WEST.も年を重ねていたし、わたしも応援しながらきちんと年を重ねていた。だからね〜、そりゃ何年も真面目に生きてるんだからこんなお話をしてくるときもあるよね!と思ったよ。いや、どことなく7人の活動に賞味期限を感じてしまう気もあった!あったけど!大人になって見える景色が変わっても、それでも楽しいと思える瞬間があって。重岡くんがその環境で笑っているのなら、それはそれで良いんじゃないんだろうか。

個人的に、音楽が届く瞬間も、 歌の想いが届くことも、結局その人の心に隙間があるからだと思っているんだけど、重岡くんがあれほど熱心に歌っているのも"生きてる"って証明するためとも受け止められるんだよ。お互いさ、立派に生きてきたねー!

仮にその人の心に隙間がなくっても、上から一輪の光を照らせるひとでもあるから、重岡大毅って本当に凄い。改めて10周年という節目で、好きな楽曲に「ボクら」をセレクトする重岡くんってとんでもなかった。

すこし余談なんですが、POWERのときぼくらしくでギターを演奏する予定の流星が、初日緊張に緊張をしていたんだよね。納得のいくパフォーマンスを探っているなか、笑い飛ばしたり、何度も「いいよ!やろう!」って肩叩いたりする重岡くんをみて、この立ち振る舞いはプロすぎると思った。閉ざ雪の舞台挨拶も、短期間で東京、大阪、愛知、そして北海道を回っていて、相当なハードワークだったと思う。それなのに重岡くんったら、ハードワークをしながらも笑顔で居続けられることにあまりに長けていた。さすがのセンター、さすがのアイドルとしか言いようがない。

そんな重岡くんが、ボクらの歌詞を、ここまで自分のアイドル観や人生観とリンクさせている。たぶんきっと、この先本気で「キミの陽だまりになる」って歌う気がしている。重岡くん自身、明確な線引きはしてこないけど、たしかにそこにはお互いのいる場所に名前があって、ボクらではそんな「アイドル」と「ファン」の双方の立場をほのかに感じながらも、愛で描かれていて、まるで両想いだと思えるから大好きなんです。もしや、両片想いなのかもしれない。それでも、この曲を選んでくれて本当にありがとう。これからも健康で、元気で、笑顔でいられますように!幸せでいてね。